シンプシーの運営者「杢目ユウ」の経歴と思い

こんにちは、杢目ユウ(@mokume7)です。もくめゆう、と読みます。

このページではSIMPC(シンプシー)と、このブログを運営している管理人「杢目ユウ」の経歴についてお話させていただきます。

少し長めになっていますが、お付き合いいただけると幸いです。

落ち着きがなかった幼少期

私は大阪の堺市というところで生まれました。

堺市で生まれたのは、当時父親が働いていた会社の社宅がそこにあったからで、その後、私が3歳になるころに大阪のもう少し南の方に引っ越します。

私は小さいころから全く落ち着きがなかったらしく、目を離したすきに、家からいなくなっていたりしたそうです。

私は全く記憶がありませんが、後から聞いた話の中で最も印象的だったのは、全く泳げない幼児なのに、いきなり流れるプールに飛び込んだことがあった話。

いきなり飛び込んだものだから、親族だけでなく、監視員の人も即飛び込んで助けてもらったそうです。

そのおかげで今を生きており、無事このサイトを立ち上げることができ、今では親族が集まった時の笑い話のネタになっています。

 

勉強とゲームが好きだった小学生時代

小学校時代はとにかく勉強とゲームが好きな子供でした。外で遊ぶことは嫌いではなかったのですが、体育は苦手でした。

もともと勉強が好きだったこともありますが、中学受験の道に進むことに。

強制されるわけでもなく、通っていた塾のメンバーは中学受験することが当たり前だったので、「なら、僕もそこを目標にしよう」という感覚でした。

後でくわしく書いていますが、中学受験を目標にしたことが、私の人生で一つの失敗だったと思っています。

一方、ゲームも大好きでしたね。中でも、一番記憶に残っているのは「バハムートラグーン」です。

だいぶ前なので、記憶が薄れていますが、今でも久しぶりにやりたいなと思うシミュレーションRPGですよね。

個人的にはアプリで出てほしいくらい。

純粋なPRGなら、クロノトリガーはやりこみましたね。

「強くてニューゲーム」で何度も繰り返してやるとか。カエルの名前を最初から、グレンと付けてプレイしたりしましたね。

たしかグレンって入れてると、「グレンのなんちゃら」みたいな装備と名前被りませんでしたっけ?そして魔王の発言も意味不明になっていた記憶が・・・

 

中学校に入ると成績は最下位クラスへ

中学受験を終え、第一志望には落ちてしまったものの、第二志望に入ることができました。

ここから、私の6年間の男子校生活がはじまります。

小学校の時には勉強が好きだったんですが、中学校に入ってからは、ほぼ勉強をしませんでした。

小学校時代のところでも書きましたが、「中学受験合格を目標」としてしまったために、その後に一気に燃え尽き症候群がきたんですよね。

サボりぐせは一回ついてしまうとダメで、その後、私の成績はずっと下から数えてすぐに出てくるくらいでした。

勉強は苦手になってしまったものの、逆に運動が好きになり、中学に入ってからはずっとテニスをしていました。

子供が生まれてからは、テニスの頻度は減りましたが、それまでは土日ずっとテニスをしていても苦痛がないほど、やっているくらいです。

 

高校2年の時に転機が

僕が通っていた学校は中高一貫のため、どれだけ成績が悪くても、基本的には留年せずにストレートで上がれます。

そのため、ろくに勉強もせず高校2年までずっと過ごしてきました。

相も変わらず、目標もなく、ぼんやりしていましたが、ある日、同級生とケンカになりました。当時、その後家に帰って、両親とも口論。

その日は家に居づらくなり、夜中までずっと外にいました。

そこに電話がかかってきたのが、当時の体育の先生。

一言目が「今どこにいる?」という言葉でした。

後から聞いた話ですが、学内でもめ事を起こしたことで、先生の耳に入り、夜、私の家に電話をしたそうです。

しかし、家にいなかったため、直接私の携帯に電話をかけてきたとのことでした。

その後、その先生の車で、晩御飯を食べ、スーパー銭湯に行き、家に泊まらせてもらいました。

説教されるかなと思っていたんですが、全くそんなこともありませんでした。

次の日は先生の家から、学校に一緒に行きました。

ちなみにその先生はサッカー部の顧問だったのですが、その日、夜中にサッカーの国際試合(?)があり、「おまえは先に寝とけ」と言われたのは今でも覚えています(笑)

 

先生の家に泊まらせてもらってから

私はこの先生が気をかけてくれたこときっかけで、「ちゃんと勉強しよう」と思うようになりました。

4年近く勉強をまともにしていなかったので、正直、めちゃくちゃキツかったです。

クラスから東大2人、京大5人くらい行く進学校だったこともあって、普通にやっても周りに追いつけないので、正直めちゃくちゃ焦ってました。

しかも、大学受験まではタイムリミットがあったので。

ただ、ここで自分に適性があった教科が「化学」。

もともと、小学校の時も理科が得意だったんですが、高校に入っても同じで特に化学が得意でしたね。

なぜか集中して解くことができ、当時下から数える方が早かった成績が、化学だけ見れば、上位10位以内に入る、というくらい成績が伸びていました。

他の教科は、それなりにしか成績は上がりませんでしたが、無事、大学は現役で関西の私大(化学科)に合格することができました。

 

大学に入ってから

大学に入ってからは、親元を離れ、一人暮らしするように。

住んでいたアパートは仲の良い住人で構成されていたこともあり、先輩たちと一緒に鍋パしたりしていましたね。

「ぐらんぶる」という漫画がありますが、まさにあんな感じ(あそこまで酷くありませんがw)

オートロックのないアパートだったので、住人の9割が男で、しょっちゅうワイガヤしてました。

大学は、マジメに勉強していた方・・・とは言えませんが、一応ちゃんとやっていて、留年もしませんでしたし、単位も余裕をもって卒業しました。

ちなみに、大学に入ってからは、バイクにドハマりました。私のバイク歴は、

  • JOG
  • RG50E
  • TZR250RR(3MA)
  • FORZA Z
  • CBR600F(EU)

という感じです。

今でも、TZRは乗りたいなと思いますね。2ストロークの甲高い音で、高回転域まで回っていく感じがたまらなく好きでした。

今考えると、ガソリンと別に2ストオイルもいるし、燃費も悪いしでいいところは何もなかったのですが(笑)

何より、後輪だけ18インチホイールがダサかった。当時は17インチホイールが主流だったので、目立ちましたね。

CBRを買った時は、600RRが全盛だったんですが、ひねくれものの僕は600Fの逆車を買いました。

ポジションの高さと前サスの調整機能がついてなくて不満でしたが、それ以外はとても楽しく乗れる相棒でしたね。

その後、大学時代にさらにアコードSiRに乗り換えました。40万円でトヨペットで買ったアコードでしたが、パワーがあって楽しめる車でした。

バイクは車を買うと同時に売りましたが、当時は自転車サークルにも所属しており、2輪はそちらに移行。

今と違い、体力もあったので、一日100km漕いだりとかもよくしていました。ちょっと今では考えられないです(笑)

当時乗っていたバイクの写真を上げたいなと思ったんですが、HDDが壊れてしまって、読出しできなくなっていました。青春時代の写真が・・・残念。

 

4年以上ネット、光回線の営業バイトを経験

大学時代、塾講師、家庭教師、居酒屋などいろいろなバイトを経験しましたが、一番長く続いていた仕事が、ネット回線の営業バイトでした。

よくある、電気屋さんの前で勧誘してるやつですね。

時給が高かったこともありますが、

  • 私自身が家電・ガジェット・スマホが大好き
  • 回線乗換契約できると獲得数が見えるので楽しい

ということもあって、楽しくやっていました。

4年ほどやっていたこともあって、最後の方では地域でマンション向けにやっている光回線の営業ベンチャーに誘われたりもしました。

今では、通信の総合サイトとして「SIMPC(シンプシー)」を運営していますが、その時ネット回線のバイトをやっていたことも大きな影響の一つです。

 

営業のできる研究職を目指すため大学院に進学

理系の大学に行った人は知っている人も多いと思いますが、半数以上の人が大学院に進学するケースが大半です。

大学卒業でも、製造メーカーに就職はできますが、いわゆる「基礎研究」や「製薬系」に就職するためには大学院卒業(修士課程修了)が最低要件になっているところがほとんどですよね。

大学卒業の場合は、工場の生産技術だったりするケースが多いと思います。

とはいっても「研究職に就きたい」と思っていたから、大学院に行ったわけではないです。

化学のことや、研究は嫌いではないのですが、上には上がいるんですよね。

好きな物事に熱中してできて、それを苦に思わない上に、頭が抜群に切れる人達が。

そういう人たちに勝てるとは毛頭思っていなかったため、「研究職についてから、営業職寄りになって、技術営業をしたい」と考え、大学院に進学しました。

 

就職活動とリーマンショック

私は2010年に大学院を卒業し、就職しました。

2010年に就職した方はご存知だと思いますが、2008年のリーマンショックを受た直後で、採用人数が激減した就活時期です。

前年度から採用が4分の1の人数になったり、採用自体をゼロにしたりした会社がたくさんあったので、当時の就職活動は「一番最初に受かったところに行く」というムードが漂っていました。

私自身も内資、外資問わず研究職を受け、最初に内定を頂いた東証一部上場の企業になんとか就職することができました。

結果だけ見ると良かったなという感じですが、ぶっちゃけ手駒が残り2つになったタイミングだったので、本当にギリギリでしたね。

 

就職し樹脂開発の仕事へ

2010年に就職したわけですが、就職活動していた時から「技術営業の仕事がしたい」と連呼していたこともあって、開発寄りの研究職に。

私が専門としていたのは、射出成型と呼ばれる機械で使う樹脂の開発です。

射出成型って何ぞや、という人は以下のYoutubeを見てみてください。3分ほどの短い動画です。

 

このように射出成型では、樹脂を溶かして型内に流し込み、樹脂製品を成型します。

樹脂はなんでもいいわけでなく、環境に合わせて使う必要があります。

普段の生活用品で使う場合には安価なポリエチレンやポリプロピレンでもいいのですが、高耐久や高温環境では特殊な樹脂が必要になります。

例えば、車のエンジンフードの上に使われている樹脂は10年使える高温耐性が必要です。

他にも、車のダッシュボードなどはシボ加工というものが施されていますが、ああいった特殊表面を作り出すのも、実は細かい樹脂側のチューニングが必要になります。

このように特性に合わせた樹脂の開発を行う開発が一つの仕事でした。

最終製品は車、家電が多く、今でも自分が開発にかかわった車が街中を走っていると嬉しい気持ちになります。

 

同時並行でシュミレーション技術を習得

仕事をする上でもう一つ得た技術が「樹脂シミュレーション」でした。

以下のYouTubeを見て頂くとわかるように、樹脂がどのように成形されるのかが事前に予測できる技術です。

画像はAutodeskのMold Flowというもので、実際に私も使っていました(3Dプリンタを使う人はAutodeskと聞くと反応してしまいませんか?)。

 

シミュレーションは樹脂開発には直接関係ありませんでしたが、「もともと技術営業をしたい」という私の要望にはマッチしていて、シミュレーションの結果をもって客先と打ち合わせはよくしていましたね。

樹脂だけ、シミュレーションだけのプロは数多くいるのですが、両方を使える人はほとんどいなかったからです。

そのため営業の方に同行させてもらえることも多く、大学院進学時に思っていたことが実現する形となっていました。

当時、そのポジションに置いて頂いた上司には、今でも本当に感謝しています。

 

配置転換がきっかけで転職を考えるように

上述したように、私は自分の好きな仕事をやっていたこともあり、研究に熱中していました。

周りから見たら、多分セルフブラックだったと思います。でも全く苦痛ではありませんでした。

ところが、そんな中組織変更があり、同じ仕事を続けられなくなりました。

実情としてはシミュレーションができる人が社内で貴重だったため、別部署からの計算専門部署に引き抜きを頂いたような形でした。

しかし、この配置換えがきっかけで、転職を考えるように。

理由は色々あるんですが、その組織にいると「危険地域へ海外駐在する可能性が非常に高いこと」でした。

個人的に、海外駐在自体は経験として得られるメリットは大きいと考えています。

たぶん独身なら行っていたと思います。

しかし、この配置換えが子供が生まれる年だったんですよね。

子育てするなら、ちゃんと関わりたいと思っていたので、危険地域での海外駐在は僕の選択肢にはありませんでした。

海外駐在することになると、ブラジル、メキシコなど子供を連れていけないところも多かったので、将来のキャリアプランを考え直すきっかけになりましたね。

 

大手財閥系のメーカーに転職

紆余曲折ありましたが、最終的に大手の財閥系メーカーに転職しました。

CMもそこそこやっている会社です。

転職後のポジションは前職の経験を活かし、樹脂のプロフェッショナルとして、基礎研究の分析部門に配置されました。

商流としては川下に下ったので、見える世界が大きく変わりました。

具体的なことは言えないですが、マーケットイン、プロダクトアウトみたいな言葉を、直接肌で感じたような感覚に。

分析や原因解明を中心にやっていたため、「これ!!」というような研究はあまりないのですが、逆に色々な部署の方と一緒に仕事ができました。

基礎研の強みとして最先端技術にも数多く触れることができ、とても良い経験を積むことができました。

個人的な意見ですが、転職するなら、違う商流に踏み込むのは研究者としての幅が広がると思うのでおすすめです。

 

サラリーマンを退職、自営、そして会社設立へ

サラリーマンをしていた当時、僕は趣味でサイト運営をしていました。

ウェブ広告を貼って、広告収入を得ていたのですが、いつの間にかその収入だけで生活できるようになったこと、そして研究よりもそちらの方に熱中できることに気が付きサラリーマンを退職することに。

その後、個人事業主として10カ月働き、現在はウェブ広告事業を法人化しています。

その一つの作品がこの「SIMPC(シンプシー)」です。

 

通信回線の総合サイト「SIMPC(シンプシー)」は私の代表作品

このSIMPC(シンプシー)は私個人、とても思い入れのあるサイトです。

理由はいくつかありますが、

  • 私自身が家電・スマホ・通信・PCマニアであること
  • 趣味として始めたサイトが形を変えながら今に至っていること

が大きいです。

シンプシーは自分が長期間時間をかけて、子供のように育ててきたサイト。

しかも大好きな通信サービス、スマホのレビューをしているため、時間を気にせず取り組めるメディアです。

 

このサイトを通じて、広がった出会いもありますし、大手企業様にも個人の立場でありながら取材をさせて頂いたりしています。

このサイトがきっかけで、バリューコマースさんのパーティに呼んでいただいたこともあります。

家族を養う身として、ウェブメディアを運営することに広告収入は切っても切り離せない関係ですが、それ以上に「自分の好き」を体現しており、愛着のあるメディアです。

 

杢目ユウ(@mokume7)の経歴まとめ

杢目ユウ(@mokume7)の経歴について、紹介させていただきました。ここまでお読みいただいて、本当にありがとうございます。

僕は面白い経歴もありませんし、何かで特別な賞を取ったこともありません。美術が苦手で、音痴ですし、人に自慢できるようなこともないです。職業にできるような資格ももっていません。

それでも、この経歴を書いたのは「通信メディアのSIMPC(シンプシー)を運営してる人ってどんな人なの?」という経歴をハッキリさせておきたかったからです。

 

今は受賞歴やアンバサダーなどはありません。

しかし、このページの経歴にモクメユウとして、そしてSIMPC(シンプシー)として、刻んでいくことができるよう努力していきたいなと思っています。

ぜひ、今後とも杢目ユウ、そしてシンプシーをどうぞよろしくお願いいたします。

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